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ピースアクションinナガサキ参加報告


テーマ   『核兵器のない世界をめざして~被爆70年、ナガサキの思いを未来へ~』

 2015年8月7日・8日に長崎で開催された、「ピースアクションinナガサキ」に参加しました。今年は、戦後70周年の節目の年でもあり、熊本県生協連からは43名(生協くまもと32名)と、例年の約2倍の参加でした。

8月7日は被爆者の救護活動に努めた永井博士の崇高な精神と、偉業を永く記念する為に建てられた『永井隆記念館』、また長崎原爆資料館などを見学し、原爆落下中心地公園では、多くの組合員さんに折っていただいた『千羽鶴』を4束奉納しました。
8月8日に長崎市民会館文化ホールで開催された『ナガサキ虹のひろば』では、田上市長が『戦争のない、平和な社会の実現の為、熱心に活動を続けておられる皆様に、心から敬意を表します。』と挨拶をされました。その後、上条恒彦さんと劇団TABIHAKUにより、1982年、第2回国連軍縮特別総会に被爆者代表として初めて参加し、『ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ』と訴えた山口仙二さんの魂の軌跡『ノーモア・ヒバクシャ』を音楽と語りで表現されました。半生を被爆者代表として国内外に向け反核と被害者援護を訴え続けられたとあって、その言葉はとても重く感動的で、平和に過ごせていることに感謝し、この思いは未来へ向け語り継いででいかなければいけないと思いました。


永井隆記念館:博士の遺品、書画、関係写真などを閲覧しました

永井隆記念館:博士の遺品、書画、関係写真などを閲覧しました

如己堂:自らも白血病と闘いながら、被爆者への救護活動に努めた永井隆博士が生前過ごした家

如己堂:自らも白血病と闘いながら、被爆者への救護活動に努めた永井隆博士が生前過ごした家


長崎原爆資料館:被爆の実相や核兵器に関する情報等をわかりやすく展示し、平和の大切さを訴えています

長崎原爆資料館:被爆の実相や核兵器に関する情報等をわかりやすく展示し、平和の大切さを訴えています

原爆落下中心地碑:黒御影の石柱が、原爆が投下された中心地を示しています。この地を中心に半径2.5㎞に及ぶ地域が壊滅しました

原爆落下中心地碑:黒御影の石柱が、原爆が投下された中心地を示しています。この地を中心に半径2.5㎞に及ぶ地域が壊滅しました


原爆落下中心地碑の周りに奉納された千羽鶴

原爆落下中心地碑の周りに奉納された千羽鶴

生協くまもとからも、組合員によって折られた千羽鶴を、参加した子どもたちで4束奉納しました

生協くまもとからも、組合員によって折られた千羽鶴を、参加した子どもたちで4束奉納しました


長崎市民会館文化ホールで行われた『虹のひろば』へは52生協約900名の参加でした。被爆者に対して全員で黙とうを捧げました

長崎市民会館文化ホールで行われた『虹のひろば』へは52生協約900名の参加でした。被爆者に対して全員で黙とうを捧げました

舞台・映画などで活躍されている上条恒彦さん。迫力ある歌声と語りでした

舞台・映画などで活躍されている上条恒彦さん。迫力ある歌声と語りでした


1990年、長崎『旅』博覧会の期間中、一般公募により誕生した『劇団TABIHAKU』“虹のひろば”にも『くすの木の詩』など、多数の作品で参加しています

1990年、長崎『旅』博覧会の期間中、一般公募により誕生した『劇団TABIHAKU』“虹のひろば”にも『くすの木の詩』など、多数の作品で参加しています

8月5日ピースアクションinヒロシマで『子ども平和会議』が開催されました。そこで話し合って決めたアピール文をヒロシマ・ナガサキ両議長から発表されました

8月5日ピースアクションinヒロシマで『子ども平和会議』が開催されました。そこで話し合って決めたアピール文をヒロシマ・ナガサキ両議長から発表されました


フィナーレは、被爆者歌う会『ひまわり』平均年齢77歳。今年5月にはニューヨークでの公演で『被爆者の歌声』を響かせたそうです

フィナーレは、被爆者歌う会『ひまわり』平均年齢77歳。今年5月にはニューヨークでの公演で『被爆者の歌声』を響かせたそうです

すべてのプログラムが終了し、感動の中で『虹のひろば』は終わりました

すべてのプログラムが終了し、感動の中で『虹のひろば』は終わりました

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